今、再び手にしたい言葉「ソーシャル・チェンジ」

 先日、リモートアジャイル(リモートワークでアジャイル開発に取り組むこと)について話をする機会があった。リモートアジャイルに関する私の結論はこちらに書いている。この内容について補足したい。

 まずは、リモートアジャイルについての私の取り組み。2014年から、日常的にリモートアジャイルとなっている。5、6年もやっていればリモートアジャイルの難しさも、その利点もよく分かる。経験を何周もしたところで、このコロナ禍によって支援先の現場・組織がすべてリモートアジャイルとなった。他者がリモートアジャイルに適応出来るよう支援する、という役回りが多くなった。

 ウォーターフォールはフェーズ単位の情報量を高めることで、リソースの効率性を高める狙いがある。その分、フェーズが進んだところでの変更を受け入れるのが難しくなる。対して、情報量を最小限に保つことで変化への適応を目指したのがアジャイルと言える。ただ、情報を落とすだけでは上手くいかないので、同期量で補完する。

 全員がリモートワークになったことでさらなる適応が求められるようになったのが現代。物理的に分断されているため、頻繁な同期というスタイルが取りにくい。ゆえに、情報量でも同期量でもなく、コミュニケーションの密度を問う方向性にある(「情報量でも、同期量でもなく、密度を問う」)。

 コロナ以降のプロダクト開発はどうなっていくだろうか?「コロナであり方が変わった」「いや元に戻る(変わらない)」という憶測が現在進行形である。私自身は、この機会で「変える」というスタンスを取っている。環境の変化を切欠に、従前から始まっていた組織のDXの動きをより推し進めていくだけだ。こうした変化の中でも変わらない、変えられない組織現場がある。粘り強い伴走が必要になる。

 こうしたことを考えていて、ふと気がついた。「リモートワークでどうしてアジャイルを進めていくか?」という問いの置き方は、間違えているのではないか。思えば、アジャイルとは、作る人と必要な人、依頼される側と依頼する側の立ち位置の間にある分断を乗り越えるための姿勢だったはずだ。「リモートワークでどうやってアジャイルを進めるか」ではなく「リモートワークだからこそ(分断されているからこそ)アジャイル」なのだ

 記憶を遡っていく。それは、2003年頃のXP(エクストリームプログラミング)の時代にまで遡る。あの時、私達が熱狂したのは、ろくでもない仕事になりがちだった状況を変えられるかもしれないという期待だったはずだ。XPによる分断を乗り越えていく活動は、誰かが誰かに押し付けたりするものではない。XPの白本が最初に語るとおり、自分から自身を変えていく、ソーシャルチェンジが中核にある。

 XPが掲げる、5つの価値。コミュニケーション、シンプリティ、フィードバック、勇気、リスペクト。分断を乗り越えるために備えたい価値。分断とは、「他者と働く」の言葉を借りれば適応課題(人と人との関係性の間における問題)ということになる。

 リモートワークでは物理的な分断と、「相手の様子が分からない」ことによって生じる適応課題の両者に取り組む必要がある。これはDXでも同様で、こちらは組織の分断に取り組むことになる。リモートワークとDX、両者に共通するのは「分断にどのように向き合っていくか」という問いだ。この問いに答えていくにあたって、5つの価値が良い示唆を与えてくれる。

 何周も回ったつもりでいたが、いまだ、アジャイルは自分から学びを引き出してくれる。アフターコロナでいま取り組んでいる問いは、もう十何年とこれまで向き合ってきたものなのだ。きっと、これまで積み重ねてきたことが活きるだろう。

 そうアジャイル開発とは、2000年代初頭から連綿と続いてきた失敗の、積み重ねの上にある。数多くの人たちがすでに、その失敗の数だけ分断を乗り越える越境に取り組んできたのだ。今、リモートワークやDXで、開発や仕事のあり方を変えようとするのは、その上に新たな越境を積み重ねるのにほかならない。

 変化は自分から始まる。この言葉も、受け継がれてきたことの一つだ。今、再びこの言葉を、分断に佇むあなたにも贈る

(Photo credit: candi… on Visual hunt / CC BY )

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