仕事に取り組むにあたって、そのスタンスは3つくらいあるように思う。
(1) 作法、手順通りに徹する
(2) 仮説を立てて、試行適応する
(3) 価値観、思想をもって臨む
最初は、「作法、手順通りに徹する」から始まる。なんだ、守破離の守のことかと思われるかもしれないが、この段階もなかなかもってひと山ある。果たして作法、手順通りにできているかどうか。そのためには作法、手順を理解し、なおかつ自分の身の上で再現できなければならない。いやもっというと「どういうときに、どの作法を選ぶべきか」に答えられる必要があるだろう。必要な作法を見分けるところから誤っているわけにはいかない。
(a) 必要な作法を見分ける
(b) 作法を理解する
(c) 期待する結果となるよう再現する
ウォーターフォールなのか、アジャイルなのか、で悩むとしたら、まだ「作法を見分ける」段階が乗り越えられていないかもしれない。「作法を理解する」は、その段階だけでは到達しているかどうかが判断できない。「期待する結果となるよう再現する」にトライして、その結果から逆に理解ができていたのかを知ることになる。期待結果にならないようであれば、作法の理解および再現のための練度不足、もしくは適用するべき作法があっていない、いずれかが考えられる。前の段階から適宜やり直すことになる。
次に、「仮説を立てて、試行適応する」というスタンス。いま、目の前の仕事にどんな仮説を立てているか? 全く仮説がないとしたら、「自分なりの見立て」が少なく、まだ「仕事に仕事をさせてもらっている」感じかもしれない。作法を誤らずに適用することで一定の結果は得られるが、それ以上にはならない。
例えば、目の前のプロジェクトに臨むにあたって、これまで通りのスクラムをそっくり適用することが効果的なのかを考える。プロジェクトで達成したいこと、それに伴う制約、条件を列挙し、できる限り「野心的な成果」を狙うとしたら、何を要点としてどう取り組むと良いのか。チャレンジングなプロダクトの提供によって、これまでにない価値の具現化を狙うならば、いつもよりは早回しが適しているかもしれない。1週間スプリントあるいは、1週間以下スプリントを取るほうが望ましいかもしれない。先が読めないからこそ、フィードバックループを限りなく短くして、成果の予感を感じ取れるようにする、大きな誤りを抱えないようにする、といった具合に。どのようにして仕事に臨めばより成果が期待できるか、この切り口自体が仮説にあたる。
最後に、「価値観、思想をもって臨む」。先の段階はあくまで仮説を立てて、検証を行い、正しさを状況から教えてもらうスタンスになる。自分の外側に正解を求めていく。一方、「価値観、思想をもって臨む」とは、仕事の環境がどう、相手がどう、に終始することなく、自分の側にも芯を持つことになる。この目の前の仕事はどうあると良いのか。どこまで到達して、成果と見ると良いのか。そうした観点について、顧客や上司、同僚、関係者の期待はもちろん存在するだろう。それを感じ取り、把握しつつ、同時に自分の側にも、成果の定義を持つ。
もちろん、その成果定義が他者の理解を招くものではなく、自分自身の満足は得られるものの他に何にも影響を与えることもないとしたら、独りよがりか趣味でしかない。孤高ぶって見えるだけで、人を幸せにすることはない、寂しい仕事。
自分の手掛ける仕事が他の人にとって想定を超えたり、想定にはないような価値か意味か、良き感情へと繋がる。そして、同時に自分自身にとって達成感の積み上げとなるのは、誰かに言われてその通りにやる仕事ではなく、自分の芯に照らし合わせて、高みか斜め横へと引き上げられた仕事ではなかろうか。そうして臨む仕事は、ことごとく自分ごとになる。