思索(試作)をはじめます このサイトで「思索」を始めることにしました。これまで私は、「作る・試す・正す」という循環を、プロダクトづくりやチーム、組織の現場で扱ってきました。扱うテーマは変わっても、常に中心にあったのは「どう考え、どう関わるか」という問いでした。最近、その問いに対して、少し立ち止まる必要を感じています。 書籍や講演、スライド、SNSなど、何かを伝える場では一定の整理が求められます。構造化し、要点を絞り、誤解が生まれないように言葉を整える。それはとても大切なことです。 一方で、その過程でこぼれ落ちてしまうものもあります。まだ確かではない感触うまく言葉にできない違和感重要そうだが、説明できない何かこうしたものは、整理するほど見えにくくなります。「思索」は、整理される前の思考を、そのまま置いておく場所にしたいと考えています(言わば「思索の試作」です)。思索は、結論を出すことではありません ここでいう思索は、スマートな答えを出すことでも、何か正解にたどり着くことでもありません。むしろ、まだ分かっていないことを、そのままにしておく自分の思考の癖に気づくいま立っている前提を疑ってみるそうした行為そのものを指しています。仕事の現場では、「早く決めること」「前に進めること」が重視されます。それ自体を否定するつもりはありません。ただ、本来その前には、立ち止まって考える時間があったはずだと思うのです。「作る・試す・正す」は、思考にも当てはまります「作る・試す・正す」という言葉は、これまでモノづくりの文脈で使ってきました。ですが最近は、これは思考そのものの態度でもあると感じています。考えを一度、外に出してみる(作る)現実や他者にぶつけてみる(試す)違和感を手がかりに書き換える(正す)この循環を回さず、頭の中だけで完結させてしまうと、思考はすぐに固まったり、偏ってしまったりします。ここは、その循環を回すための場でもあります。 特にこの「思索」では、次のことを意識的にやらないようにします。無理に教訓を引き出さない役に立つ形に加工しすぎない読みやすさのために考えを単純化しない途中で終わる文章もあると思います。結論のない問いが残ることもあるでしょう。それでよいと考えています。思考は、本来そういうものだからです。共感よりも、「同じ問いのそばに立つこと」を この文章を読んで、「なるほど」と思わなくても構いません。「よく分からない」と感じても問題ありません。もし、どこか一節に引っかかりを覚えたなら、それだけで十分だと思っています。 ここで言う「思索」とは、同じ結論に至ることではなく、同じ問いの近くに居続けることなのだと考えています。最後に 以上のような姿勢で臨むものですから、「思索(試作)」は、完成した成果物ではなく、削り途中の思考を置いていく場所です。あとから読み返せば、間違っていることも多いでしょう。考えが浅かったと感じることもあると思います。 それでも構わないと考えています。間違いに気づける状態で考え続けられるなら、それは前進だからです。まずは、ここから始めます。思索を。