機械式時計と組織システム ある本を読んでいて、「システム」のメタファとして「機械式時計」というものが出てきました。すでに年を食った私でさえすぐにはピンとこないこの言葉は、メタファとしての消費期限がもう切れているようにも感じます。機械式時計とは、電池や電子回路を使わず、 ゼンマイの力と歯車の連動だけで時を刻む時計だそうです。つまり、複数の部品、要素が相互に作用しあうことで、はじめて機能する仕組み、「システム」というわけです。 歯車は一つとして単独では機能せず、ぜんぶが噛み合ったときにだけ、時を刻むことができます。ですから、その設計は部品ごとの最適化だけを考えていても成り立ちません。各部品一つ一つの挙動が他の部品に影響を与えて、はじめて全体として意味のある動作になるからです。確かに「システム」の特徴をよく現していると思います。「システム」を設計するにあたっては、全体観が不可欠である、と。 一方で、同じ「システム」でも「組織(システム)」を想像したときに、全く同じようにはいかない感覚にも気付きます。 機械式時計と人間で織りなす組織とが決定的に異なるのは、人間は部品とは同じようにみなせないという点です。全体として最適とされる方針が出されたとしても、人間はそれを受け取り、自分の状況や信念と照らし合わせて、是非を問います。いかに組織の肝いりとされる施策であったとしても、受け取りはするかもしれませんが、本当に噛み合っているかは別です。むしろ、それは必要な反応と言えます。なんの考えもなしに、言われたからただやる、ということが時として重大な誤謬、間違いを招く恐れもあります。人間は、良くも悪くもなく、物事に対する最後の評価者であり、意志決定者なのです。 よって、組織をこれまでの流れとは大きく変えていこう、という組織変革においては全体を踏まえて必要なことを打ち出しているはずなのに、個々の部署、人の納得が得られず、頓挫してしまうという難しさがあるわけです。ここが「システム」として思い通りいかないところです。「全体から個々」ではなく「個々から全体」 そう考えると、組織における変化とは「全体→個々」だけの流れでは行き詰まりを得てしまう、「個々→全体」の順のほうをはじまり方として意識する必要がある、と言えるでしょう。これは私自身のこれまでの組織変革業での実感とも一致するところです。変革に臨むにあたっては「経営のコミットメントが必要」「経営の旗振りが必要」という声がよくあがります。これは変革に向けての必要条件ではありますが、十分条件にはあたりません。組織を動かす前提にはなっていくが、経営がコミットすれば上手くいく、というものではないということです。ここを見誤ると(頼りに置きすぎると)、先々における思うようにいかなさに耐えきれなくなる恐れがあります。 あるチームや部署からの変化の立ち上げは最初はもちろん小さなものでしかありません。しかし、そうした動きがあることで、動いた結果が周囲にポジにもネガにも摩擦や引っ掛かりを作っていきます。会話が必要になり、いつもの意志決定に少しだけ影響を及ぼすことにもなりえる。判断が変わると、次の行動の選択肢が増える芽も出る。これまでの慣例とは異なる選択肢が増えると、さらに組織の中に「揺らぎ」を作ることになる。この動きを組織の中で作っていきたい。ここで鍵になるのが「可逆性」です。可逆性があるから「作る、試す、正す」ができる 可逆性とは、何かしらを実行しても元の立ち位置に戻れる性質のことです。戻れるから、また試せる。試せるから学べる。学べるから、次の一手が良くなる。これはまさに書籍「作る、試す、正す。」で提示するあり方です。この動きが組織変革にもそのまま当てはまります。 作る=小さな変更を作る、試す=現場で当ててみる、正す=上手く行かなかった前提やルールを調整する。こうした動きを許容できるかどうかが「可逆性があるか」を示す視点になるわけです。なお、ここでいう「可逆性」とは、全く同じ場所に戻ることではありません。同じように見える立ち位置に戻りながら、理解の深さやものの見方が変わっている状態です。 この可逆性を置き去りにして、新しい取り組みをとにかく「現場で頑張れ」に寄せてしまうのは良い戦略ではありません。個々がいかに動き回り、チャレンジをしたところで、組織全体としての不可逆性が高いようだと、その芽は必ずといってほど潰えてしまいます。 そして、たいていの組織がそうした芽を潰すように設計されているものです。組織の効率性を高めるための一つの方針は、イレギュラーをなくすことです。新しい取り組みは、これまでのやり方からすれば常にイレギュラー側にあたります。これまでのやり方に基づいた運用であれば、おそらく「潰している」という自覚すら生まれない可能性すらあります。不可逆性を減らす = 「可逆性を注入する」 不可逆性が高い組織には、ひとたび下した意思決定が容易に変わらないようにプロセスに落とし込まれている状況があります。稟議の階層が深い、会議体が多い、レビューが多い、例外が一切許されない、ルール変更が発生しない。この組織の下では現場は「試す」以前に試せるようにする、「許可を取る」ゲームのプレイに終始せざるを得ません。重いプロセスの前に、現場は学ぼうとする意欲を減らしてしまう。これまでのやり方に比べれば、「やらなくてもいいこと」になる「試す」ことが減ってしまう。学ばないのではありません。学べない構造になっていくのです。 この状況を踏まえると、組織変革の役割とはただ「個々を鼓舞する」ことにあるのではなく、全体に「可逆性を注入する」ことであると気づけます。現場は「試す」ことの前線にあり、その責を担いますが、同時にゲームのルールまで変えることはできません。ルールを変えたり、新たに作るには、全体での調整、合意が必要です。ここが組織変革を推進する人、チームの責にあたります。 実務的に言えば、組織の意思決定プロセスのどこに、どのくらいの変更許容を埋め込むか、になります。ここに一つのトラップがあります。変更許容を組織に持ち込むために、アジャイルを取り入れようという流れが現れ始めます。その流れに則り、スクラムを導入する、ということになる。組織に可逆性を注入しよう、意思決定プロセスでゆらぎを許容しよう、という意図が、いつの間にかスクラムを実行できるようになろう、に変わってしまう。組織の性質を変えよう、という狙いが、スクラムの形式に絡み取られて、見失ってしまうわけです。組織を不可逆に追い込む真の理由 アジャイルの価値観と原則は、まさに可逆性をもたらすための手がかりです。それを実現する具体的なプロセス、プラクティスとは、組織の狙いと現状にあわせて組み立てていく必要があります。スクラムがそのままフィットする組織もあるでしょう。一方で、バックログを積み上げて、スクラムイベントを反復実施していくことのオーバーヘッド感が高く、どうにも前に進めない組織もあります。「スクラムを実行する」ということに目的を奪われては上手くいきません。現状をどう変えるか、から出発しましょう。 しかし、可逆性の注入を阻む最大の要因は、思想やフレームワークそのものにあるわけでありません。そもそも「スクラムを実行する」ことがオーバーヘッドといて映ってしまう背景には「リソース不足」があります。そもそも人手が足りない。新たな取り組みを差し込む余白がない。余白がない組織は、どんなに正論であっても吸収できません。改善が「追加タスク」になった瞬間に負けです。 ですから、変革の戦略として要となるのは「余白づくり」になるのです。組織、部署が抱える目的と業務を量的に見直す。捨てる、やめる、やらないことを決める。あるいは、量を減らす、頻度を減らす。こうした動きこそゲームのルールに影響することです。つまり、現場の頑張りで乗り越えられない領域ということです。 不可逆性の高い組織が、不可逆なままに落ち着いてしまうのは、現状を維持するのに手一杯な状況にあります。変わろうとするための余白さえも無いのです。組織はAIにDXの夢を見るか 思い返してみればかつてあった「DX」というムーブメントの最大の失敗はここにあったと気付けます。組織が不可逆なモメンタムにあるのは誰もが薄々分かっていることです。そのモメンタムを打破するために、どうするか。慣性という力に対して、「勢い」を用いたわけです。 新しいプロジェクトを立ち上げる、新しい組織をつくる、新しい役割を置く。追加投資、追加のツール、追加の会議。余白がないままの追加は、変革ではなく疲弊へとたどり着きます。可逆性が上がるどころか、組織はさらに固くなってしまう。失敗できない空気が漂う。成功をあてようと選び出す。事例を問い、確実な成果だけを考える。ますます試せなくなるわけです。 かつて、私は勢いだけのDXを「大本営発表DX」と呼んでいたことがあります。はずみや、瞬発力は大事です。ですが、勢いだけどうにかできるほど、組織に積み上がった不可逆性は崩せるものではありません。 そして、今、AIという新たな武器を手にしたわけです。ここでも問われるのは同じことです。勢いで倒しにかかるのか、AIによって何をもたらすのかを設計するか。まさか、AIで「追加」を加速して余白をさらに奪うことではありませんよね。AIによっていかに余白自体を生み出すか。その余白を大急ぎで既存の何かで埋め合わせてしまうのではなく、これまで取り組めていなかった「試す」のほうに回す。今度こそ、組織に可逆性を注入する手がかりとしなければ未来はありません。組織の時計の針を進めよう DXにしろ、AIにしろ、それ自体が組織を変えるわけではありません。組織に可逆性を宿していくこと。まず、そこに踏み出すための余白を生み出しましょう。組織には、具体的な時間設計が必要です。意思決定をどのくらいの周期で見直すのか。どの判断を暫定とし、どこまでを固定しないのか。試した結果を、いつ次の判断に接続するのか。可逆性とは、裁量の話ではなく、判断が過去に縛られないための時間の刻み方と言えます。 冒頭に挙げた機械式時計は動力が尽きれば止まらざるを得ません。ですから、止まることを前提に設計されています。機械式時計が定期的な調整の時間を持っているように、組織もまた、判断を調整するための時間を取り入れる必要があります。 アジャイルが可逆性注入のための手がかりと表現しました。アジャイルが提供しているのは手法ではなく、この時間の扱い方です。DXもAIも、その時間構造を支えるときにより意味を持てる。組織変革とは、一度で変えることではない。変わり続けられる時間を、組織に埋め込むことなのです。