狙いから言葉まで合わせているはずなのに、それでも齟齬が生まれる・話は通じているはずなのに、決まらない。決まらずに会議が延々と重ねられる。・合意して進めているはずなのに、後から覆る。想定外の前提や条件が唐突に現れる。・同じ言葉を使っているのに、噛み合っていない感じが残る。ズレを修正しようとするも、どれだけ時間を費やしても埋まらない。 こうした違和感が現れるのは、組織の中の仕事では珍しいことではないと思います。そして、これらの違和感に直面したとき、私たちはよくこう言っているはずです。「文脈が違いますね。」 「もう少し前提を揃えたほうが良いですね。」 「説明が足りなかったのかもしれません。」 たしかに、文脈のズレで説明できる場合もあります。 情報が足りていない、前提が共有されていない、状況理解が揃っていない。こうしたときは、整理すれば前に進めますよね。 しかし、現実には、「言っていることは分かる」「理屈も理解できる」「やろうとしていることに価値があることも否定しない」それでも、「その判断はできない」「その進め方は取れない」と相容れない状態に辿り着いてしまうこともあります。 この状態では、どれだけ文脈を揃えようとしても状況は動きません。むしろ、説明のために言葉を足すほどに、「消耗」が増えていく感があります。これは単なる意思疎通の失敗や、調整不足の話ではありません。 同じ状況を前にしながら、別の世界に立って判断していることによって起きている構造的なズレです。 どうも、「文脈違い」では説明がつかない、相容れなさがあるということです。このギャップを情報不足や説明不足として扱い続けること、それらの不足を埋め合わせることで、どうにか乗り越えようとすることに限界を感じます。文脈と位相、その違いとは そうしたもがきの中である本を通じて、「位相」という言葉に出会いました。「文脈」と「位相」、似たような意味で捉えられそうなところがあります。しかし、この二つは扱っているレイヤーがそもそも違います。文脈:今、共有されている前提や状況位相:ある認識によって区切られた世界 位相で言う「ある認識」とは、・何が価値とされるか・何が意味を持つか・どう評価されるか(評価軸は何か)という見方に基づくものです。つまり、位相が違えば、同じ言葉、同じ行動、同じ成果物を前にしても、「それが何なのか(何が価値なのか、何を意味するのか)」の解釈が根本から変わるということです。 同じ場、同じチームで、同じ活動をしていても、位相は簡単にズレます。ズレていくというよりは、最初から合っていない。同じ時間をともにすることで、位相が違っていたことに気付く、という状況です。 こうした位相に基づく見方を本人は意識すらしていない場合があるというのも多いことでしょう。ある位相にいるということは、「何が良い/悪いか」「何を選ぶべきか」がいちいち考えなくても、自動的に立ち上がってしまうという状態にあります。それは本人にとっては、ごく自然に振る舞えることです。同じプロダクトづくりでも別モノになる 位相違いとはどのようなものか、より具体的に捉えていきましょう。 例えば、同じ「プロダクトづくり」であっても、ある人は、「仮説検証によって価値を探索しながら進めていくもの」として捉えている。一方、別の人は、「要求仕様を固めて計画に落としてから進めていくもの」として捉えている。 こうした違いは、取り組む人のそれまでの経験、経験に基づいたモノづくりの考え方、捉え方、あるいは価値観から生まれてくるものです。この違いを「文脈が違いますね」で合わせようとしたところで、上手く片付きません。「文脈が違っているのに気付かず、うっかり違う考え方を持ち込んでしまった」という誤謬ではないからです。両者とも、「プロダクトづくり」とはどういうものか、はっきりと自覚して臨んでいます。 前者の位相(プロダクトづくり=価値探索)では、・道筋を自分たちで見つける・計画は仮説・失敗は学習という認識に立っている。 一方、後者の位相(プロダクトづくり=要件固定からの計画駆動)では、・答えを決める役割が別にある、正解を出せる・計画は前提・失敗は避けるべきものという立ち位置を取っていることでしょう。 明らかに同じプロダクトづくりでも、価値、意味、評価軸が異なる世界にいるのです。これが、位相違いです。注意したいのは、どちらの捉え方もそれぞれの位相の中では合理的であるということです。問題は「どちらが正しいか」ではなく、どの位相で合理性が立ち上がっているかが共有されていないことにあります。ズレているのは文脈なのか、位相なのか、その見分け方 では、今起きている違和感が「文脈」によるものなのか、「位相」によるものなのかは、どのようにして見分ければ良いのでしょうか。 文脈が違っている場合は、・情報を整理する・前提を揃える・認識を合わせることで、「今はどの文脈を選ぶべきか」という合わせ込みが可能なはずです。つまり、説明のための言葉を増やしていけば、どこかで噛み合うのです。会話のための時間、認識をあわせるための時間を丁寧に取る、という手段が有効に働くことになります。 しかし、位相が違っている場合は、たとえ言葉や会話の時間を増やしたところで、噛み合っていきません。むしろ、なんとも言えない噛み合わせの悪さが顕著になり、投じた時間ほどの成果もなく、逆に溝が深まる感覚が増すでしょう。・言っていることは分かる・価値があることも理解できる・でも、その選択はできない どれだけ丁寧に説明しても、どれだけロジックを積み上げても、一致点が見つかりません。「分かる」「理解できる」という感覚を得ながらも、合意はできないのです。今、自分たちは何が評価される「世界線」にいるのか。 位相が違っていることに気付かず、会話を続けていこうとすると、「説明」がいつの間にか「説得」になります。そして、どれだけ時間を投じても噛み合わないことで、やがて「消耗」へと至ります。「なぜ、分かってくれないのか」「ここまで説明しているのに」「(こちらが)正しいはずなのに」 こう感じ始めたら、位相違いを疑うタイミングです。文脈合わせが成り立つのは、同じ位相の中にいるときだけです。そう、文脈をあわせるとは、「どの位相に立って物事を進めるのか」について思い出してもらう、立ち位置がおかしいことに気付いてもらう、ということなのです。結果として、価値、意味、評価軸が揃うことになります。 ですから、どうにも互いに話が通じないと感じるときは、向き合う問いを変えたほうが良いのです。どう説明すれば伝わるのか、ではなく、今何が評価される世界線にいるのか。 評価軸が違えば、何が正しいとされるのかも違ってきます。・同じ行動が「前進」にも「逸脱」にもなる・同じ失敗が「学習」にも「問題」にもなるということです。 大事にするものが違えば、選択も変わってくるはずです。それを「説得」で乗り越えようとすると、 お互いに「(どれだけ言葉を重ねても)理解できない相手」になっていくしかありません。これは良い悪いの話ではありません。 正しい正しくないの話でもありません。ただ位相が違う、ということです。後から「変わった」のではなく、最初から「違っていた」 評価軸が異なっていると、後になって「こんなことでは困る」「成果とはこういうものじゃない」という声が現れやすくなります。おそらく、「後付けで、とんでもないことを言ってくる!」と憤りや不安を感じることでしょう。しかし、途中から、後から、ズレていったのではないのです。最初から、位相が違っていて、それに気付いていなかっただけなのです。 例えば、「小さく始めよう」「仮説検証で進めよう」そう言って始めたはずなのに、 途中から急に話が噛み合わなくなることがあります。・「計画」とは、仮なのか、それとも前提か・「失敗」とは、学習なのか、それとも追うべき責任か・「判断」とは、変えられるものなのか、それとも固定か 同じ言葉を使っていても、その背後にある世界観が異なっている。それに気づかずに進むほど、やり直しは難しくなります。互いの位相を見て、道をつくる 文脈と位相では意味するところが違う。だから、位相違いに注意を向けましょう。・今、どんな位相が存在しているのか(存在しうるのか)・自分はどの位相に立って話しているか、振る舞っているか・相手はどの位相にいるのかを捉えることです。 位相が見えれば、 無理に説得しなくて済む局面かどうかも分かります。先に述べたとおり、むしろ説得を頑張るべきものではない。互いの価値、意味、評価軸で合意できる部分や、第三の道(互いの位相が成り立つ目的、目標)を模索することを始めましょう。この時、次のように問いを置き換えて臨みましょう。・主語を「私たち」にする・時制を「現在」に寄せる「私」「あなた」のままでは、互いの位相の違いをただただ明らかにするだけで物事は進みません。「過去」「未来」に、それぞれの頭の中だけでこだわっているだけでは歩み寄りは作れないはずです。「今、私たちの活動において何が価値とされるか」「今、私たちは何に意味を見出すのか」「今、私たちは仕事をどう評価するか、されるのか」 向き合う問いを変えることができれば、これまでと異なる判断ができる芽も出てくるはずです。