日本の「DX」はすでに負けている…「組織が変わる」ラストチャンスを生かすために必要なもの

今、さまざまな分野で求められている「DX(デジタルトランスフォーメーション)」。しかし、その進捗は遅々として進まずというのが実際のところだろう。日本のDXを推進する株式会社レッドジャーニーの代表で、著書『デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー』を発表した市谷聡啓氏が、日本におけるDXの根本的な問題点と、今後どのように進めていくべきか、具体的な処方箋を提示する。

負けから始まる「DX1周目」

日本のDX1周目(最初の取り組み、一巡目)は、すでに「負けている」のではないか。DXなる企業活動の前線でうっすらと感じたのはそんな気配だった。ちょうどコロナ禍の局面に突入する直前の頃だ。

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これまでにない新たな事業を創出するべく、慣れないデジタルプロダクトを作り進めようとするプロジェクトは、ナチュラルに「炎上」している。計画が大幅に遅延している、というか計画自体がそもそもろくに存在しない。

もちろん、今の状況をそのまま進めても好転する見込みは無い。それでもなお手立てがなく、出来ることといえば「進捗」を報告すること。

そう、デジタル技術やデータの利活用といった、先鋭感を掲げた肝いりの事業開発でありながら、手にする武器は昔ながらの伝統的なマネジメントしかない。現代における事業、プロダクト作りはいよいよもって「不確実性」を高めている。何が必要とされ、誰にとって何が価値なのか、分からない中でモノを生み出そうという試みなのだ。

そこで使える武器が、十年二十年守り抜いてきた社内の管理標準に照らし合わせたマネジメントしかないとしたら、まず勝ち目はない。我々に求められるのは品質や進捗を測るすべではなく、そもそも価値とは何かを探索するすべなのだ。DXで負ける最初の要因がここにある。

2020年代におけるDXなる組織変革の取り組みに関与、支援するようになって見えてきたことは、長らくにわたって培われてきた組織の「負債」である。計数的な負債ではない。もっと厄介な「認識負債」(状況判断の誤謬)ともいうべきものだ。何が正解で、何が間違っているのかを判断する基準自体がホコリを被ったように古くなったままなのだ。

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私も40年以上前の日本組織の実情を知るわけではない。だが今垣間見えているのは、おそらく日本組織が強かった頃、1980年代に確立されたのであろう、「深化」(効率化や改善)が組織のすべてになっているという現状である。

判断基準や組織能力、人材育成に至るまで根底にあるのは「効率化が全ての中心」という「認識」である。組織によってはそうした認識を間違いなく守れるよう、標準やルールという形式できちんと落とし込みまで行っている。

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