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 説明が必要。何をするにしても、まず口をついて出てくるのは「説明を求む」だった。組織で何か新たな取り組みを行うのに、説明はもちろん必要だ。ところがその説明が必要とされるのは、許可に向けた前向きなもののためではなく、「リジェクト」するための理由付けのためだ。

 組織外部に向けて新たな情報発信の手段を講じるにしても、あるいは特段新しくもないプロジェクト管理ツールを導入するにしても。最初に必要なのは「説明」、そしてその後に相手側から寄せられるのは「いかにそうする理由がないか」の列挙。組織の標準やポリシーを順守する「ゲートキーパー」が職務である部門を相手にした場合、展開はだいたい同じになる。

 いかにそうする理由がないかを挙げるのは簡単だ。新たな取り組みによって発生するリスクを取り上げれば良い。どんな取り組みにでも、小さなリスクというか「そうなるかもしれない可能性」は必ず存在する。

 情報発信すれば読む人の解釈によって炎上するのではないか、新たな管理ツールを用いると情報漏洩の恐れが高まるのでは……。僅かな可能性も取り上げるつもりで提言を品定めするとキリが無くなる。

 そうしたネガティブな可能性の芽を潰すには?いかにリスクをヘッジするか?こうした議論に時間を費やすことはない。それを講じるのは提言者の役割なのだから。ダメ出しに対する手当てを持ってくるのが次のアクションだ。

 至極、正しい対応だ。これで、組織のこれまでの秩序が引き続き守られる。ただ、引き換えに組織のありようは依然として変わらない。この突破にいつまでも時間をかけられるほど提言者にも時間があるわけではない。やがて、新たな取り組みへの提言は「かつて、そんなことを言ってきた人もいたかな」というゲートキーパー側の担当者の「記憶」という形に落ち着く。

DXの旅路は長い。メンバー全員の意識を合わせ、進むべき方向を見誤らないようにしよう
DXの旅路は長い。メンバー全員の意識を合わせ、進むべき方向を見誤らないようにしよう
(出所:123RF)
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 今に始まった珍しい光景ではないし、依然として組織の形態進化を果たそうと取り組むデジタルトランスフォーメーション(DX)でもこうした状況には直面する。むしろ、DXと言い始めただけで組織のポリシーや常識が従来のままの段階では、こうした問題により直面していくことになる。「話を通す」ということに多大なカロリーを消費し、組織内の足踏みと混乱は深まっていく。

組織内で直面する”異文化交流”

 先の例では、ゲートキーパーの位置付けにある部門を例に挙げたが、DXの取り組みが進むと、似たような状況が組織内のそこかしこで発生する。DXとは技術から方法、ビジネスの在り方、価値観までに及ぶ変革に他ならない。すなわち組織内の至るところでの「これまでの技術、方法、ビジネスのあり方、価値観」との衝突を意味する。既存の事業部門と新規事業創出チームとの間で、既存のIT部門と新技術の導入推進部門との間で、「説明を求む」が繰り広げられる。

 ここまでの連載のとおり、DXによって組織内コミュニケーション量そのものが増える。チャットなどメール以外のチャネルが加わりコミュニケーションは増える。ミーティングもオンラインに移行することで圧倒的に増えた。

 コミュニケーションのハードルが下がる、分量そのものが増えるということは、これまであまり接触することがなかった人同士、通じ合ってこなかった部門同士の仕事が増えるということだ。単に連絡を取り、情報を共有すれば良いというレベルではなく、何かの目的を果たすために両者が協力して動かなければならない状況が増える。こうしたときに、実はお互いが歩み寄り、仕事を進めていくためのすべが足りない。

 それはそうだろう。これまでの組織とは効率化への最適化を推し進めることが名分だったからだ。よくやり玉にあげられる「縦割り組織」も、効率化を目指すに当たっては1つの必然となる。

 効率化とは、余計なことをやらないことに尽きる。いちいち複数の選択肢を挙げ連ねて、そのたびに迷っているようでは極めて分が悪い。この観点でいけば、一つの仕事を行うのにいちいち部門をまたがってコミュニケーションしている場合ではない。コミュニケーションが必要なところには、認識の齟齬(そご)の芽も出てくる。すると余計に効率を落とすことになる。縦割り組織で部門同士でのコミュニケーションを不要とするのは、効率化を極めていくにあたっては必要な手段なのだ。

 しかし、そうした組織のあり方では、より複雑で新規性の高い仕事に取り組むことができない。コロナ禍以降、いちいち人を介さなくても問い合わせや申請がデジタルにできたり、紙やキャッシュといったアナログな手段を置き換える状況へと向かい続けている。