プロダクトレビューをチームの「立ち稽古」の場にする(増分最適からの脱却)

 スクラムの言う「インクリメント」について考えてみる。ガイドにはこう書いてある。

インクリメントは、プロダクトゴールに向けた具体的な踏み⽯である。インクリメントはこれまでのすべてのインクリメントに追加する。また、すべてのインクリメントが連携して機能することを保証するために、徹底的に検証する必要がある。価値を提供するには、インクリメントを利⽤可能にしなければならない。
スプリントでは、複数のインクリメントを作成可能である。インクリメントをまとめたものをスプリントレビューで提⽰する。それによって、経験主義がサポートされる。ただし、スプリント終了前にインクリメントをステークホルダーにデリバリーする可能性もある。スプリントレビューのことを価値をリリースするための関⾨と⾒なすべきではない。

スクラムガイド』P13

 スクラムガイドはよく読めばその分、深く読み解ける。「ガイドにはそう書いていたかー」という再発見はよくあることだ。実践していく中、現実との向き合いにおいて、自ずと適応してしまうところがあり、気が付かないうちにブレている、ということがありえる。定期的に意識的に読み解き直そう。

 例えばインクリメントをこう捉えていないだろうか。

 インクリメントとは「増分」だから、スプリントごとに何が増えるのかを検査していく。この増分イメージが強調されると、「スプリントにおける個別最適(増分最適)」に陥る可能性が高くなる。増分の良し悪しのみの判断が持続していくような状況のことだ。

 実際にはインクリメントとは全体として、「プロダクト」として利用される。ゆえに、増分最適に寄りすぎると、利用体験上の全体の良し悪し、整合不整合が置き去りになってしまいかねない。今しがた作った機能としては成り立っているが、前後や少し離れた文脈との間で整合が微妙に取れておらず、違和感を生み出す。開発チームは、増分の確認が中心かもしれないが、利用者の体験は「頭」から始まる。この焦点の置き方の違いがプロダクトとしてのいまいちさを醸成し、なおかつそのことにチームが気付いていないという状況を容易に作り出す。

 ところが、冒頭のスクラムガイドでは「インクリメントはこれまでのすべてのインクリメントに追加する。また、すべてのインクリメントが連携して機能することを保証するために、徹底的に検証する必要がある。」ということで、全体を見よとちゃあんと言っている。プロダクトを部分集合と見るか、常に全体としての成り立ちで見るか。「インクリメントの罠」にはまらないようにしたい。

 もっと言うと、「モノ」自体への焦点を置き続ける限り、利用者が置き去りになる。「モノ」によってどんな「価値」がもたらされるのか、ここまで視界に入れておきたい。

 といったことを、限られた時間のスプリントレビューで捉えるのが現実難しかったりするから、増分最適が起きる。増分自体の良し悪しを見るので精一杯、全体で捉え直しての検査ができないといった具合だ。常に最初から全体で増分を評価すれば良いか、というとそれはそれで時間を要する。また、全体と部分の視点の切り替えを素早く繰り返すこと自体の難しさもある。

 そう考えると、割り切って、増分と全体を分けてしまう作戦がある。普段のスプリントでは増分最適に寄せて、別の時間で全体最適化を検査し直す。置くべき視点自体を時間で分けるようにする。スプリントのレビュー(検査)だけではなく、プロダクトのレビュー(検査)の場を作る。

 プロダクトレビューでは「頭」からプロダクト利用をチームで流しながら、体験を再現していく。再現する以上、ユーザーのことを理解していなければならない。ゆえにレビューの場で、ユーザーになりきれるメンバーやプロダクトオーナーがいるかが要点の一つだ。全体最適の観点から体験上の良し悪し、整合不整合に向き合い、フィードバックをみんなで挙げる。以下の到達具合を見ると良いだろう。

(1) ユーザーは所与の目的を十分に果たすことができるか
(2) ユーザーはムダやムリなく、プロダクト上での動きを完遂することができるか
(3) 結果として、ユーザーは満足を得られるか(価値や意味が感じられるか)

 ウォークスルーという伝統的な用語がある。これには「立ち稽古」という意味があるそうだ。プロダクトレビューは、チームで行う「立ち稽古」と言える。本番(ユーザー自身の利用)に備えて、十分に練っていこう。

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