日々、アジャイル云々に向き合って考え続けていると、段々と概念としてのゲシュタルト崩壊を起こしているのではないかとさえ思えてくる。簡単なことを難しく考えているだけではないかと自分が疑わしくなってくる。というわけで、いつものことながらアジャイルの話。
以前、「アジャイルに向けて、アジャイルに進み続ける」ということを語った。
この話をもう少し進めてみたい。対象をどう捉えて、どのように移行するのか。対象そのものをアジャイルにするしない、移行の方法をアジャイルにするしない、4象限で考えることができる。
この「アジャイル☓アジャイル4象限」を元に考えてみよう。まず、対象がアジャイルってどういうこと? 対象には幅がある。王道は「開発プロセス」だ。「チーム」も対象になりうる(アジャイルチーム)。それから、近年では「組織」が一つ主戦場になっている(アジャイル組織)。プロセスやチーム、組織をアジャイルにする。
そうなるようにどのように移行するか、が4象限の横軸。アジャイルな移行と、そうではない移行。つまり、段階的に変化を加えていくやり方なのか、一気呵成に変えるのか。
踏まえると、左下は「アジャイルに向けて、アジャイルに取り組む」とあり、例えば、アジャイルな組織に向けてアジャイルな移行(Transformation)を行う、という取り組みになる。右下は、「アジャイルに向けて一気に取り組む」象限で、この選択はたいてい難所となる。例えば、アジャイルな組織やチームになるべく、段階を考慮せず一気に移行を進める。当然ハレーションが生まれる可能性が高くなる。もろもろの障害に負けることなく一気にたどり着けるかどうか。正直言って分が悪い。
書籍「組織を芯からアジャイルにする」を著したとおり、私の本丸も左下の「アジャイルに向けて、アジャイルに取り組む」であり、右下の「アジャイルに向けて一気に取り組む」になっている方針を解きほぐしたり、いかに左下に寄せていくかがテーマの一つになる。
一方で、この4象限のうち、左上の「ある理想に向かって、アジャイルに取り組む」、この領域の意義を見直し始めている。ありたい対象がアジャイルかどうかではなく、「ある理想の状態」を定義し、そこに向けて変化を逐次加えていくイメージだ。やはり常日頃呪文のように唱えている「From-To」の考え方とも符号する
簡単には、Toにたどり着かないからこそ、From(現状)を捉えて、その差分に着目する。差分は一気呵成には乗り越えていけないため、段階的、漸次的な「変化」を加えていく。「変化」を積み重ねていくことでやがてToへと至る。このToが必ずしも「アジャイルなXXX」に限るわけではない。
例えば、製造業における製品開発プロセスを考えてみよう。製品開発は、モノ自体を生み出すための「企画開発」と量産のための「製造」の2局面が考えられる。このうち、前者で試行錯誤のアプローチが期待され、正しくアジャイルの取り込みが考えられる。後者はどうだろう。あくまで量産のための「製造」工程であるから、プロセス自体を探索適応型のアジャイルに仕立てるというのはムリがあるだろう。左上の「ある理想に向かって、アジャイルに取り組む」は、こうした領域に適用する。
つまり、製造工程としての理想を再定義し、その上で段階的、漸次的な「変化」を加えていく。そうして理想の状態へのたどり着きを目指す。ん、それって「改善」のことじゃない? そう、確かに「改善」の範疇に入りそうだ。ただし、特にこの左上の象限で想定しているのは、「解決するべき課題が特定できていない」ような不確実性の高い状況である。
関係する制約や条件が多い、あるいは関わる部署や役割が多すぎる、そうした複雑性の高い問題を対象とする。関係する変数が多すぎて、かつ複雑に絡むため、「何を解決すれば、良くなるのか」という原因と結果の関係を特定することができない。「やってみる」より他ない状況だ。仮説検証型アジャイル(開発)のアプローチが必要になる。
あくまで対象そのものをアジャイルにするわけではない。すべての理想的な状態がアジャイルというわけではない。ただ、その理想的な状態に持っていくための算段がつかないため、その移行をアジャイルにトライアルするよりほかない。こう考えると、「アジャイル」の出番はかなり増えることが容易に想像できる。「アジャイル」とは変化を受け入れる姿勢であると同時に、「変化」自体を作り出す営みなのだ。
例えば、つくる製品は従来と基本的には変わらないが、対象の顧客を広げる変える、そのための売り方も変える…といった試みでは、企画開発・製造の両プロセスに影響を与える可能性が高い。先に述べたとおり後者の製造プロセスをアジャイルに仕立てるわけではないが、マーケティングやセールスを製品開発に巻き込むポイントが変わるなど「新たな売り方」に適した製品開発・製造フローが期待されるようになる。
この場合は、これまでの改善のイメージほど、どうなるかの確かな期待や予測がついているわけではない。あるボトルネックを特定し、そこを解消することで工数やコストがXX%削減できるはず…といった具合にはいかない。ボトルネック自体が特定できないのだ。できることは、あくまで仮説を立てて、試すこと。その結果の確からしさから、あらためて仮説を立て直すのか、あるいは本格的な適用へと移るのかを判断する。その繰り返しから、望むべき状態へと至る。
そのために使う概念、道具はお馴染みのものになる。From-Toの差分を解消していくために必要な「変化」、これをバックログとして扱う(「変化バックログ」)。変化を起こしていくための漸次的なプロセスをスプリントとして運用する。やってみて、その結果から次に行うべきことを判断する(「適応」)。アジャイルな移行そのものについてのふりかえりを行い、そのカイゼンを行う。そして、ときに状況評価を踏まえて、取り組み方や向かうべき状態自体を再定義する(「むきなおり」)。
もう二十年もこの仕事をしているが、いまだ「アジャイル」の可能性やその価値について発見がある。むしろ、今までどこを見ていたのか? と疑いたくなるときすらもある。まだまだだ。